「宮崎おいらん道中」の開幕セレモニーで挨拶。初めて着物で仕事に臨みました。
帯でお腹がグッと締まり、身も心も引き締まって気持ちが良いのですが、着慣れないもので、全身が型枠にハマったかのように固まっています。慣れが必要かと。
いつか、着物姿で国外での公務にあたってみたいと思っています。さて、いつ実現するか。
昨年は、このような場でスーツ姿でご挨拶。この雰囲気からすると、やはり着物がふさわしいのではないかと思い、<次回は着物で参加したい>とお話ししたところです。何とかその「公約」を実現することができました。
以前より、着物を着てみたい、着物を活用してみたいという思いがありましたので、このイベントが、そのきっかけとなったわけです。
宮崎おいらん道中のホームページには、このイベントの趣旨について、次のように記述されています。
「ニシタチ界隈にもおいらんや芸者たちが居た「置屋街」があったのをご存知ですか??
最後は今の末広、医療センター付近にあったそうです。
おいらん達は、遠方より身売りされて身寄りもわからなく亡くなって、供養されていたそうです。
そういう悲しいお話からその辺りを「涙町」と呼んでいたそうですが、寂しい街というイメージを払拭しようと、福岡より恵比須さんを7体持って来て町の名前も恵美須町と変えたそうです。
戦争などにより、えびすさんも行方不明となりたった一体残ったのがお通の前のえびすさんと聞いております。
広い意味で同じお水の商売、宮崎の方々でその歴史を知り伝えることが供養になるのでは?と、思いこのイベントを開催しております。」
「私達「おいらん道中」一行は、大好きな「みやざき」を活性化出来ればと心の中の笑顔と共に夜の街を練り歩かせていただきます。
絢爛豪華な花絵巻。大江戸の文化をごゆるりとお楽しみくだされませ。」
次の写真は、行列に参加する男衆と記念撮影したもの。よく撮れている写真なもので、児玉健作さんのフェイスブックよりお借りしました。
私は行列に参加したわけではありません。写真撮影用に、行列の先頭ではいポーズ(笑)。
「おいらん」にまつわる少々悲しいストーリーをベースにしたイベントながら、私が着物の世界に足を踏み入れるきっかけとなったように、地域の歴史や文化、伝統、さらにはニシタチの魅力などを見直す一つの契機となるものと考えます。今日も大くのお客様に足を運んでいただき、街の賑わいにも大いに貢献しています。
このイベントに携わる全ての関係の皆さんに敬意を表します。