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Channel: 河野しゅんじのブログ
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東九州道「佐伯~蒲江」間の開通!

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ついに東九州道「佐伯~蒲江」間が開通! 史上初めて、宮崎市と大分市という両県の県都が高速道路で結ばれる歴史的な日を迎えました。これは記念すべきテープカットの場面。




今日は、まず、太田国土交通大臣や広瀬大分県知事をはじめ、両県の関係者が参加し、
佐伯市総合体育館で開通式典が行われました。


 



私の挨拶では、半世紀にわたる悲願の成就に際し、これまでお力添えいただいた多くの先人や、国交省や西日本高速道路株式会社をはじめとする関係者、4県1市による東九州道整備促進協議会、高速道路整備推進議員連盟、沿線住民や経済界、道づくりを考える女性の会など、すべての関係者のご尽力に感謝申し上げました。

そして、この貴重な財産を、東九州地域や本県の発展のために最大限活用すること、高速道路の整備が地域の活性化に結び付くということを全国に向けて発信すべきこと、さらには、そのためにも残された東九州道県南区間や中央道、都城志布志道路等の整備を加速すべきことなどをアピールしました。私の右胸には、そうした残された区間の整備促進を訴えるカンバッジを2個。太田大臣にも、この式典の前に、しっかり見ていただきました。


その後、佐伯堅田IC付近の本線上で、テープカット・くす玉開披、さらには通り初め・パレードが行われました。
天気にも恵まれ、多くの関係者や地域住民の皆さんで、高速道路の本線上は人があふれんばかり。


 


テープカットの前に行われたのが、出会い神輿と餅まき。私は、太田国土交通大臣や広瀬大分県知事と一緒に神輿に載せていただき、本線上を練り歩いた後、参加者に向けて餅まき。まいた餅も相当な量でしたし、威勢のいい出会い神輿で、大いに盛り上がりました。
我々の神輿を担いでくださったのは、清本鉄工や旭化成など延岡市からの皆さん。お疲れ様でした。


 




こうして写真を見直してみると、太田大臣と広瀬知事と私のネクタイ、赤・青・黄となっています。
先日、県議会の本会議では、たまとま私と両副知事とで同じように赤・青・黄。ちょうど副知事の仕事ぶりについての質問だったもので、<知事と副知事が、信号機のように役割分担して仕事をしてます。>と答弁したのを思い出しました。ちなみに、私は青=進め!で、稲用副知事が赤、内田副知事が黄。仕事に対する姿勢を暗示していたのかどうか(笑)。

今日のところは、役割分担というよりも、国と両県とでしっかり連携ということで、両県の県都が初めて高速道路で結ばれた記念すべき出来事をお祝いし、3人でがっちり握手です。





通り初めでは、先頭を切ってパトカーが走り、その後に救急車や消防車等の緊急車両や、自衛隊の車両、海産物の輸送トラック等が続き、
高速道路の開通効果をアピールしていました。
大変だったのが、背の高いトラック。開通を祝う黄色いアーチの下側にこすれてしまって、結局、担当職員がこのアーチを少し持ち上げて何とか通したのですが、涙ぐましい努力がありました。


 

  


さらに、宮崎交通の「パシフィックライナー」も通り初めに参加。
いよいよ4月1日から運行開始する別府・大分ー宮崎間の高速バスです。
実は、佐伯市に向かう途中、道の駅「北川はゆま」で休憩したとき、この通り初めイベントに参加するため、パシフィックライナーに乗って移動中の宮崎交通の菊池社長らの一行とばったり。
最新鋭のバスを拝見したところ、ゆったりした座席や、広く快適なトイレに加え、各座席の足元に携帯充電用のコンセントも。利便性の高い、太い動脈の開通、楽しみです。


 

 

 



こうした式典やテープカット等の始まる前、佐伯市内で早めのお昼。敬意を表してお寿司をいただきました。写真左の中にぎり1575円。
これが美味しかった!ネタがコリコリ、プリプリして新鮮なのです。
「高速が開通して良かったですね。」とニコニコ顔のご主人によると、宮崎県内から次々と団体客が来られるようになったとのこと。宮崎県側も頑張らないと!

ちなみに、右側の写真は、開通式典の来賓控室で出されたお寿司。さすが佐伯市、徹底しています。
左のお寿司を食べた後ではあったのですが、これも縁起物ということで、いくつかいただきました。


  




「みやざき新時代」の到来、今朝の宮崎日日新聞も、このようなラッピング紙面でお祝いです。宮崎と大分を結び付ける大動脈が完成し、中四国も含めたダイナミックな交流時代のスタートを予感させます。




この紙面を見ながら懐かしく思い出したのが、子供らがサッカー少年団に所属していた頃の高知県宿毛市への遠征。宿毛市で開催されたサッカー大会に2年連続で参加し、2連覇したのです。

<宮崎県さんはいつもいいチームを作られますね>と高知県の関係者にほめていただいたのもうれしかったのですが、とにかく、行き帰りが大変でした。
貸し切りバスで佐伯市まで移動し、フェリーで宿毛へ。試合を終えた日の帰りは、決勝まで残ったために宿毛からのフェリーに間に合わず、愛媛県の八幡浜港までバスで急ぎ(ギリギリ出航に間に合った!)、そこからフェリーで臼杵へ。高速道路の無い時代。そこから延々と一般道を走り、宮崎市までたどり着いたのが朝の3時ぐらいだったように記憶しています。当時、私は保護者会の会長。子供らを迎えに来られる保護者との連絡も一仕事でした。

八幡浜港の出航に間に合うかとか、途中、トイレ休憩をどこで入れるかとか(バス内の祝勝会で飲み続けている親がテンパってしまって(笑))、そういった点も大変だったのですが、とにかく、臼杵や佐伯のフェリー乗り場から宮崎市までの数時間の道のりが、延々と一般道を走るバスに揺られて、<遠いな~>という実感とともに強い印象として残っています。一方で、フェリーに乗っていたのがどれぐらいの時間だったか、記憶も印象もありません。それだけ隣県の遠さが強烈でした。

懐かしいなという思いで、佐伯港フェリーターミナルの前で記念撮影。





ともかく、大きな歴史の節目。これまでの先人や関係者のご尽力に報いるためにも、このインフラを生かした、活気あふれる「みやざき新時代」を切り開いていきたいと思います。


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