宮崎県オペラ協会によるオペラ「鬼八」を鑑賞。これは、10年前、同協会の創立30周年を記念して創作されたオリジナルオペラです。高千穂伝説を題材としたいわばご当地オペラで、今回は新演出による再演となりました。
これまで、宮崎の神話伝説から「鶴富姫」「木花開耶姫」「海幸山幸」もオペラ化されてきて、この「鬼八」が4本目とのこと。意欲的な取組に深く敬意を表します。
今日初めて鑑賞して、こういう魅力的な題材があるということ、改めて宮崎の宝だと感じました。天孫族による先住民族の征服を通して、森をはじめとする自然の力や、文明の交代、赦しと再生の物語が紡がれます。
ただ、今日の舞台を見ながら、その世界に引き込まれるというよりは、ついいろいろなことを考えてしまいました。最大の問題は、日本語オペラでありながら、私には半分も歌詞が聞き取れなかったということ。およそのストーリーは頭に入れていましたが、重要な内容が歌の中で語られることから、筋道についていけないのです。
一つには、私が中高生の頃から、そもそも洋楽に偏ってしまい、日本の曲を好んでは聞かなかったことから、<歌詞の意味を受け止めよう>という聞き方ができていないこと。日本の曲を聴いていても、メロディだけを追っていることに、ハッと気づいたりします。そういう私の耳の問題と、一方では、しっかり歌詞を届ける歌唱になっていたかどうかという問題もあるのかもしれません。ただ、日本語のオペラを聞く機会は「夕鶴」ぐらいで、ほとんどありませんし、専門的なことはよくわかりません。
それに加え、以下のようないろんなことを頭の中でグルグルと。
○ ハヤタケルが鬼になる場面や、最後の場面など、コーラスの力が印象に残りました。狩猟文化から農耕文化への転換が一つのテーマなら、例えば「トゥーランドット」のように、もっと群衆のコーラスを生かして出番を増やすなりして、その変化を表現できないものか。
○ 鬼八はテノールの役なんでしょうか。鬼=怨念=おどろおどろしさ=(西洋オペラなら悪魔の役は)バリトンかバスという先入観からか、特に、鬼八になってからが軽く感じられました。新しい技術で勝者となるも、悔い改めて再生へという筋道なら、ミケヌをテノールとしてもいいのではないかと。
○ そもそも、強引な征服者として描かれているミケヌのような存在を、どう受け止めたらいいんだろうか、この物語の中での役回りはどういうものかなどと、考えてしまいました。悪玉、善玉といった単純な区分じゃないところが日本的なのかもしれませんが。
○ 天孫族と先住民族の衣装、もっと違いを強調した方がわかりやすいのではないかと思いましたし、特に、アサラや少女、白鳥などが、同じような衣装でわかりにくいかと。
○ 最後の第8場、赦しや覚醒、償い、再生などの重要な場面だと思うのですが、ほぼ動きがなく、演奏会形式のオペラを聞いているようで、何が起こっているのか、めでたしめでたしなのかどうか、はっきりしませんでした。
○ 池辺晋一郎先生(今日、ご挨拶できて光栄でした。)のスコアは、ドラマチックで、美しく聞きやすかったと思います。
○ テーマからすると、オペラ「利口な女狐の物語」のように土俗的な要素を強調したり、地元に残されたメロディをアレンジしたりというやり方もあるのでは。
○ 鬼八と天孫族の戦いの場面、「サロメ」のベールの踊りのように、単独でも演奏されるような曲を池辺先生が書いてくださらないかと思って聞いてました。存分にオケを鳴らしてもらって。
いろいろと、素人ながら生意気なことや半端な意見を書いてしまったかもしれません。これも、私がオペラが大好きで、しかもこの題材を宝だと思い、協会の皆さんのご尽力に敬意を表するからであって、関係の皆様にはどうかご容赦ください。
この意欲的な創作オペラが、これからも宮崎の財産として、魅力を磨きつつ、歌い継がれていくよう祈っています。改めて、宮崎県オペラ協会をはじめ、今回の公演に携わられた全ての方に深く敬意を表します。宮崎県で、オペラの灯をともし続けていっていただきたいと願っています。宮崎国際音楽祭の「トゥーランドット」、楽しみです。
このところ、Youtubeのオペラにはまって、パソコンで作業中も、ずっと鳴らしています。ときどきチラ見。ヘビーローテーションは、「トゥーランドット」「ボリスゴドノフ」「ホフマン物語」あたり。
このバイエルン国立歌劇場の「ホフマン物語」も、ハマってます。フランス語オペラにフランス語の字幕が出るのもわかりやすいのです。アントニアの三重唱で鳥肌が立ってしまう私も、我ながら危ういかも(笑)。