綾町小田爪運動公園の人工芝サッカー場の竣工式と、「J.FC MIYAZAKI」の発足式がありました。
スポーツ合宿の受入体制がさらに充実するとともに、本県初のJチームを目指す取組のスタートです。
今日は素晴らしい天気に恵まれ、緑の人工芝が光輝いていました。
「J.FC MIYAZAKI」のユニフォームが披露されました。ホーム用は、緑豊かな宮崎の象徴で、県旗にも
用いられている緑がベースに、キーパーはマンゴーカラー。アウェイ用は、宮崎の青空を表すブルーと、
(松崎監督によると)宮崎牛をイメージできる黒のパンツで、キーパーは、鵬翔高校の優勝時に
使われていた縁起のいい黄色。
オープニングゲームは、「J.FC MIYAZAKI」vs鵬翔高校。その後、綾中学校サッカー部vsセントラルFC
宮崎、綾錦原サッカースポーツ少年団vsセントラルFC宮崎Jrも。これらの試合に出る子どもたちが、
グランドをぐるっと取り囲んで見ていました。
鵬翔高校が日本一に輝いたことで、よし自分たちも!と、多くの子どもたちに大きな夢をもたらして
いただきました。この人工芝サッカー場も、「J.FC MIYAZAKI」の誕生も、こうした子どもたちの夢が
さらに大きく膨らむことと思います。
「J.FC MIYAZAKI」vs鵬翔高校を前にしたフォトセッション。これがスタートだったと、Jチームの誕生を
祝いながら懐かしく振り返るときが来ることを、また、その日を、楽しみにしています。
「J.FC MIYAZAKI」は、鵬翔高校の松崎博美監督をはじめ、多くの関係者の、宮崎にもJのチームを!
子どもたちに夢を!という熱い思いでスタートすることとなりました。関係の皆さんの情熱に、また、
多大なるご尽力に深く敬意を表し、感謝申し上げます。
式典が終わってオープニングゲームが始まる前、前田綾町長と一緒に、「キックインセレモニー」を
させていただきました。これは、PKマークからゴールに向けてボールを蹴り込むもの。サッカーボールを
蹴るのは久しぶり。ドキドキ、ワクワクでした。
高校時代サッカー部の私としては、久しぶりにサッカーシューズを履いて、それなりにシュートを決め、
跳ね返ってきたボールで、おまけのリフティング。この写真は、練習の様子。Facebookの方に、
動画をアップしておきました。
https://www.facebook.com/kouno.shunji
その後、エキシビションとして、浅田卓人選手(鵬翔高校優勝時のゴールキーパー!)と、一対一の
PK勝負をさせていただきました。
私のイメージでは、ゴールの左上隅にビシッとだったのですが……力が入りすぎたか、バーの上を
軽々と越えていってしまいました。その動画を見せたところ、サッカー部の次男(高2)には、
「シロウトか」と冷たく言い放たれてしまいました。残念。
ちなみに、1994年ワールドカップアメリカ大会の決勝戦ブラジルvsイタリアは、PK戦で決着。
最後は、イタリアのエース、ロベルト・バッジョがバーの上に外して、まさかの幕切れ。忘れ難い
シーンです。今日のキックは、そのバッジョの球筋に似ていると思ったのは、私だけでしょうか(笑)。
先週11日、都道府県会館を訪れたとき、各県の事務所のディスプレイは、Jリーグの開幕に合わせ、
全てJリーグ関係のものとなっていました。Jリーグの村井チェアマンが視察される予定とのこと。
本県の隣は、岩手県。J3のGRULLAというチームがあるそうです。同じフロアには、アルビレックス
新潟やコンサドーレ札幌も。また、吹き抜け構造の都道府県会館では、他のフロアの様子も見ること
ができます。各県のディスプレイ、うらましい限り。
本県のディスプレイは、通常ベースのもの(写真左)。14日に村井チェアマンが視察に来られたときは、
キャンプ地としての宮崎をアピールするディスプレイに変更したようです(写真右)。